先生、それは美少女萌えのBL化なのでしょうか。

80年代はまだ良かった。「SFおしかけ女房もの」は、能天気な願望充足モノで済んでいたから。そこに潜む欲望の源泉も、私にとってはたやすく抽出できた。

しかし、2000年代に入ってからは、正直もうよくわからない。

妄想の世界では、オタク男性は女性に同化したいと思っている、としか思えなくなった。
ときおり、オタク妄想の中では男は「劣った女性」でしかない場合すら、ある。
しかし、それはもう80〜90年代とはまったく違った物語構造である。

男性が女性になることは、ぜったいにできない。オカマというかニューハーフみたいになれる人もいるかもしれないが、それはごく一部の話しだし、多くの男性たちは、どうもセックスにおいては男性の快感を保持しつつ、かわいい女の子になりたいと願っているらしい。

自分にとっては、それはあまりにもピンと来ない願望である。この文章のタイトルに「あるいはおわりに」と付けた理由は、そこにある。

ふぬけ共和国 - はじめに(あるいはおわりに)(「SFおしかけ女房」とは何か?)2009年5月7日執筆)

子供のころ「俺はご先祖さま」「うる星やつら」「ウイングマン」が好きだったものの、「ああっ女神さまっ」も「ラブひな」も「あずまんが大王」も読んだことがないので、いい加減なことは言えないのですが。おまけに「やおい」の定義は腐女子の数だけあるので一概には言えませんが。ひところ流行った中島梓系の解釈ではこんな感じだそうです。

女らしさに対する嫌悪(ミソジニー) … かつての少年愛作品に対しては、思春期の少女が(既存の)女らしさに対し自己嫌悪を抱き、男になって男を愛したいと思うことが発生の背景にある、と言われていた。たとえば、唐沢俊一は、やおい及びBLは女性が自らの女性性を嫌悪した結果生み出されたとよく説明している。本人もやおいを手がける中島梓も、『タナトスの子供たち』において同種の説明をし、社会学上野千鶴子ユング派心理学の第一人者河合隼雄もやはり同様の趣旨のことを述べており、いままでは最も一般的な説明であった。この嫌悪感については、社会の女性蔑視が女性である少女自身に内面化された結果であるとされる。

やおい - Wikipedia

あずまんが大王」は、「男の子不在の柔らかい世界」であり、「女の子ばかりがキャッキャ言うマンガ、アニメ」だそうなので、「やおい」のように同性同士が恋愛関係のようになるお話ではなく、昔からあった「レズ・百合萌え」とも様相が違うようです。ただ自分の存在、性別を消してしまう、という行為は非常に「やおい」的な心理かもしれないな、と思ってしまいました。うーん、とっちらかっていてすみません。